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ジョン・アンダーソン(Jon Anderson, 本名''John Roy Anderson'', 1944年10月25日 - )はイギリスのミュージシャン、ヴォーカリスト、作詞家。プログレッシブ・ロック・バンド、イエスの元・リード・ヴォーカリストであり、中心人物であった。 == 来歴 == イギリスのアクリントン出身。父はスコットランド系、母はアイルランド系のイギリス人だった。学校を卒業し、15歳から様々な職を転々とする。地元のサッカークラブチームであるアクリントン・スタンリーFCへ入る夢も持っていたが、165cmという小柄な体型からあきらめるしかなかった。1962年にザ・ウォーリアーズに兄のトニー・アンダーソンと共にボーカリストとして加入。1967年に解散した。その後、ハンス・クリスチャンの芸名のシンガーとしてシングル盤2枚を発表している。 1968年にメイベル・グリアーズ・トイショップに在籍していたクリス・スクワイアと出会い、意気投合した彼らはビル・ブルーフォード、ピーター・バンクス、トニー・ケイと共にイエスを結成し、1969年にデビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム』を発表する。1976年には初のソロ・アルバム『サンヒローのオリアス』を発表している。 1979年にリック・ウェイクマンと共にイエスを脱退する。その後しばらくソロ活動を行うが、1983年にイエスに復帰し『ロンリー・ハート』が大ヒットを記録する。しかし、音楽性の違いから1988年にまたしてもバンドを脱退。1989年にはイエスのキャリア中に出会ったメンバーとアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ(略称:ABWH)名義でアルバム『閃光』を発表している。1990年にはABWHとイエスの合体という形で、アンダーソンはイエスに復帰した。 ギリシャ人のキーボード奏者・ヴァンゲリスとの連名で共作アルバムを数枚発表し、時々、ライヴでも共演している。 1992年には喜多郎の作品に参加し、喜多郎と共にワールド・ツアーを行なっている。 2008年に体調不良を理由にイエスでのシンガーとしての活動を、バンドおよびマネージメント・サイドから拒否され、現在はイエスでの活動を行なっていない。イエスは代理のシンガー、ベノワ・ディヴィッドを擁立して2008年以降、ライヴ活動を行ない、2012年にはジョン・デイヴィソンに交代している。 2008年にスロバキア人作曲家のピーター・マハイヂクは、ジョン・アンダーソンが歌うSadness of Flowingという曲が収録されたNamahというタイトルのアルバムを出した。2009年には、アンダーソンとマハイヂクはブラチスラヴァのTribute to Freedomコンサートにて共演し、2012年にはロンドンオリンピックの一環として、サドラーズウェルズ劇場にてジョイントコンサートを開いた。 アンダーソンは2009年以降、ソロ・シンガーとしてライヴ活動中。2010年秋にはリック・ウェイクマンとの共演の英国ツアーを「プロジェクト 360」の名義で行ない、連名のスタジオ録音アルバムとライヴ・アルバムを発表している。 2012年にはスロバキアのシンガーソングライター・Miroslav Žbirkaとライヴで共演した。 2013年にはアイスランドのバンド Todmobile とライヴで共演した。 2014年にバイオリニストのジャン=リュック・ポンティとのバンド「アンダーソン・ポンティ・バンド」を結成し、活動を開始した。同年7月に、Kickstarter での同バンドへの投資募集を発表している。 三弦ギターであるストラムスティックの奏者としても知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・アンダーソン (音楽家)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jon Anderson 」があります。 スポンサード リンク
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